ヴェーダーンタとは

自分とは何?そのゴールを知るのがヴェーダーンタ。

ヴェーダでは宇宙全体の法則、つまりあるがままのことダルマを教えていて、膨大な数の知識の最後の部分という意味で、知識によって、つまり、知ることによってかなうゴールを教えています。

 

体や呼吸を使ってスッキリした体験から、少しずつ何かしら、自分が穏やかでいることに気付き始め、いろんな役割とか、常に外に何かを求めても求めても満足できない自分や、いつも自分に自信がないとかの自分・・・そして、物足りなさが何なのかもわからない・・・だから、常に物理的な何かを求めていく・・・その自分とは何?を解消させてくれるのが、ヴェーダーンタの教える知識。

 

知ること以外に自分自身こそが、すでにくつろいでいる人とは気付けないし、知られないです。先生の言葉とヴェーダーンタの教えがその勘違いな考えを再構築していきます。物や癒し的な体験、スピリチュアルな感覚器官で何かを感じるとか、とらえるとかのフワフワしたものではなく、言葉よって、純粋に知ること。

 

体を使ったヨーガの練習は、役割から離れた自分自身に気付ける体験ですので、とても大切ですが、それと同時に、今までの感覚器官でしか捉えられない価値の考えではどうしても、くつろげません。

 

今までの自分の考え方、見方の価値構造を変化させていくには、知識の道具でもある、昔から変わらずあるもの(聖典)と、それを丁寧に言葉という道具で教える先生、グルの言葉が必要です。独学や自分なりの解釈で理解するものでは、その言葉の意味が、実は何を言っているのかの理解を勘違いや誤解をしがちです。そして、都合のよい解釈になったり、訓練や鍛錬ということが強調されたりします。

 

自身が、すでにくつろいでる人、アーナンダ、満ちてるもの、喜びであるということを、自分に知られていくことであり、そこにはヨーガというものの理解が大切となります。

 

少しずつ、自身に知られることで、どんどん自分自身がくつろげているということが理解できていけるからこそ、自然に思いやりや優しさ、丁寧さが現れます。

 

それぞれの役割のしなくてはならないことが、自分の感情や気分に惑わされていることに気付くこと、そして、それは外側の部分であり、内側の自分は何もその影響にさらされていないということが、少しずつ理解でき、気付いていけることで、それぞれのいろんな感情、悲しいや怒り、嫉妬なども楽しめるということです。

 

   (  スワミ チェータナーナンダ サラスワティ (Swami Cetanananda Sarasvati)の言葉)

ヨーガって何だろう?

体や呼吸法を通してヨーガの楽しさを体験し、見つけたけれど、ヨーガって、何かもっとステキな

ゴールがあるのでは?と思い始めてる人は多いと思います。

ヨーガの意味はそもそもヴェーダ(聖典)にしっかりと教えられています。

ヨーガという生き方と、そのゴール、モークシャ(自由)を教える知識

 

「人が求めていること」の答えが、ヴェーダーンタの原典の中にサンスクリット語で教えられています。
 それは「ひとつの宇宙観」にまとまります。
人は、その宇宙観を知りたくて、この物理的な世界に体を装って、何度も何度も生まれてくる(サムサーラ)と言われます。

 

私たちが知ることのできる世界を物理的な世界と呼ぶならば、それは、目や耳といった5つの感覚器官から知られる色や音などの5つの情報だけを材料に、考えが知りえる世界です。

その宇宙観には全体宇宙の中で2つのエリアが知られてはいません。
5つの感覚器官の届かないエリアの宇宙は知られてはいません。

さらに大切なもう1つ。その5つの感覚器官や考えを使っている「私」が知られてはいません。
感覚器官や考えというのは道具、私は「私」を知る道具を持って生まれてはいません。


ヴェーダの国の人々の目には、この宇宙こそがひとつの意識の現れです。
空間や時間をはじめとした宇宙全体は、ひとつの意識の現れた姿であって、その生きた宇宙、現れた宇宙をバガヴァーン、または、イーシュワラと呼ぶのです。

勘違いの宇宙観に閉じ込められた私。私は160センチで、55kgで、日本人で、独身で、従業員で、ときには幸せで、たいていは、むなしくて、とるに足らなくて・・・。だから認めてもらうためだけのかけひきに忙しいし、休日を待ち望んで働く人生だし、月曜の朝には溜息だし。

こんなふうに、あがったり、さがったりが私なら、その考えの私が生徒です。

ヴェーダーンタの宇宙観では、その私は本当ではありません。

その考えの私の後ろにいつもいて考えの私を輝かせている宇宙の意識が「私」です。


一定期間、伝統的な方法論で先生からその真実をしっかりと学んできた考えの私は、瞑想の中で「私」の中に解決します。

ヨーガを生きてきた、ヨーギーたちのきれいな考えだけに、その解決が起こると言われます。
空間や時間ですら閉じ込めることのできない私、それこそが本当の私の姿であると知り、ヨーギーたちはモークシャと呼ばれる自由を得ると言われます。

 

「何が、自分自身に満足をもたらすのかを学ぶこと以上に、大切なことはありません。 たとえ、どんなことを、成し遂げたとしても、最後には、あなたは、あなたを受け入れなければなりません。 

自分自身が、受け入れられるのは、唯一、自分自身が受け入れられるものであるときだけです。 自分自身を受け入れるために、もし、あなたが、今、知っているあなたが本当であるなら、それは、受け入れられはしません。 

もし、本当でないなら、あなたは、本当のことを知らなければなりません。 本当のことというのは、何も、あなたに反しているものではありません。(不愉快なものではありません。)  あなたには、何も欠いているものはありません。 あなたは、その、あなたを知らなければなりません。 

そのために、ヴェーダーンタという、知識体があります。 

それを、あなたは、先生の助けをかりて、勉強します。ですから、これは、哲学のシステムとは違います。(哲学は人によって解釈され、自身の探究 )これは、先生をもっている、先生によって、ひも解かれるヴィジョンです。  ですから、本の独学ではなく、先生の口から、生徒の耳に伝えられてきた、ヴィジョンです。(その教えの解釈が先生と生徒の間にバラバラに解釈されないように) 耳で聞き込んで理解されるヴィジョンなのです。

ですから、ヴェーダーンタ の原典の言葉を道具として生徒の無知を落とすのが先生の仕事です。
その無知を落として「あなたこそが、イーシュワラである」という真実を。

ヴェーダーンタの教えは、たいていが物語になっています。 つまり、登場人物がいて、その主人公がどんなふうに生きて、ついに、「私っていったい何をしたいんだろう?」、「私って、何だろう?」、「どこに向かているのだろう?」という、どんな人にも、その根っこにある疑問に気づくまでのお話があります。 物語の中では、そこからヴェーダーンタの教えがはじまります。

例えば、バガヴァッドギーターというのは、マハーバーラタという歴史物語の中の小さな章です。 主人公のアルジュナが、人として成熟し、避けようのなかった大きな戦争をきっかけに、彼の疑問がおこりました。 その場に立ち上がる力も失うほど、自分自身の考えをどうすることもできず、座り込んでしまいました。 ここから、バガヴァッドギーターという、ヴェーダーンタを教える章がはじまります。 その先生がクリシュナでした。 こんなふうに、ヴェーダーンタがはじまるには、いつも、それを学ぶにふさわしい生徒が育ち、先生と出会います。

ヴェーダーンタの教えの中には含まれますが、メイントピックがはじまる前の部分、つまり、生徒の準備ができるまでの話題を、別名、「プルシャ アルタ」と言います。 プルシャとは、人。アルタとは、求めるもの。人によって求められているものを、プルシャ アルタと言います。 

権力や富、名声と、人は、安心、安全、喜び、満足を求めて、生きています。 人によって、さまざまなものを求めているように見えるけれども、よくよく見てみると、本当は、たったひとつ。人は、モークシャと呼ばれる、自由を求めています。 モークシャとは何でしょう?

モークシャを求める人を、「ムムクシュ」といいます。 モークシャの意味と価値がわかるまで、考えの準備ができた人を、アディカーリーと言います。 そして、アディカーリーとして、成熟するための生き方がまた、ヨーガと呼ばれるのです。

          

ヤンララでもヴェーダーンタの勉強会に、伝統の中で学んだ教えを伝えられる先生を、お招きして定期に勉強会ができるようにしていきたいと思います。

この教えと出会えた事で、今までなかなか理解が難しかったり、勘違いや、人によっての解釈の違いなどがよくわかり、本当の意味で、伝統の教えとはこうなんだという理解と、グルの言葉の重要性がわかります。いかに自分が違う解釈で、理解もしてなかったかを実感し、それを知りました。

そして、難しいものでもなく、見方が変化することで、安らぎさえ覚えます。楽しい学びだと!

 

ヨーガを始める人も、ヨーガが大好きになってきた人も、ヨーガ全体の意味と、そのゴール(モークシャ)を知ってみましょう。

そのヨーガというものを知り、行い(カルマ)をヨーガ(ライフスタイル)に変えて、キレイな考えに整理整頓し、ライフスタイルを楽しむことの勉強になると思います。これからの生き方や行いに対しての変化が自然と現れていきます。

クラスのお知らせ

@Kanazawa、@Komatsu

スタジオの時間などは

スケジュールにて

ご確認いただけます。 

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初めてのヴェーダーンタ勉強会

次回の「いーしゅわらーやなまは」

勉強会&チャンティング第6回

11/18日(土)

@Kanazawa

11/19(日)

@Komatsu

13:30~15:30

最後の30分は、ハピネスを祈るスヴァスティ・パータや食事の前のチャンティング、一定期間唱えることで、願いがかなうと言われているガネーシャ・ストートラムにも挑戦していきたいなと考えています。チャンティングに慣れていけることで、祈りの行いであること、そして、意味も深まるような考えの準備もできるでしょう。

少しづつですが、ヨーガの意味を

理解し、きれいな考えにしていく道具として、この勉強会に参加しませんか?

くつろげるとは、すでにあるものであるがままのことをあるがままに見るということを知るだけです。

その知識以外にゴールはありません。

誰もが知る権利があり、そのゴールを教えているのがヴェーダーンタです。

お休みのお知らせ

Akemiクラス

11/25~12/8日

12/29~1/3日

Rinaクラス

11/26,27日

Maiクラス

 

ヤンララ@Kanazawa studio

ヤンララ@Komatsu studio

ヨーガを続けていると、

カラダや考えに何かしらの変化が

起きてきます。 

呼吸をコントロールしながら

ポーズをとると、

まず内面、考えが落ち着きます。

考えが落ち着くことで

カラダとのバランスがとれていき、安定してきます。

そして、自分自身にくつろいでいるリラックスしていることの気付きとなります。

その気付きが、今までの考えや見方にも変化がおきてきます。

そこから、いろいろな識別や

見極めが始まり

自分とは何か?ヨーガって何?を

知りたいという願望がおこったら

ヨーガのはじまり。

何も不安のない考えからの自由。

自身がすで持っているものを知ることで自身の中で解決します。

まず、体を動かして、何かしら

自分自身にリラックスできている

ことに気付いていきませんか?

いろんな役割から離れた

基本の自分に留まる時間を少しもっていきませんか?

そして、基本の自分と

いろんな役割の自分との間に

スペース、ゆとりが持てることで

それぞれの役割

仕事や結婚や子育てが輝き、

楽しめます。

そして、これからのライフスタイルにヨーガを取り入れて

それぞれの役割を行いながら

ヨーガに変えてみませんか?

  yanglalah(ヤンララ)とは

バリ語で虹という意味です

Medha Michika 先生のブログ

Muktih 先生のホームページ