自分を行い手ではないと知っていて、体、考え、感覚器官の集まりは自分だけど、そうではないとしっていて行いをする人はジニャーニー
そして、思い違いをしていて、自分は、体、考え、感覚器官の集まりが自分と思ってる人はアッジニャーニー。
それぞれにアハンカーラ(自分という観念、エゴ)を持っているけど、自分と世界を分けてみてしまうのと、自分を含む世界が神で、自分こそが世界、神と知ってるとの2つの思い違い。
体、考え、感覚器官の集まりは道具であって、それが自分自身ではないということを識別できることが大切。体、考え、感覚器官(カーリア・カラナ・サンガータ)は行いをするけど、それは道具。
その道具を使ってるのが自分(アートマー)で行い手の本質・・・
自分はその道具を操ってるだけなんですねぇ・・・いままで、そんな風に考えてもみなかったです。
この教えをきくまでは(^_^;)
でも、すぐに現実の生活になると、自分が体で考えだと思ってしまい、道具だということも忘れ、いつもの感情が上がったり、下がったり・・・
グナ(属性)の変化によって、行い手、意志として現れてるだけで、それを自分だと見てしまう。そのクセが根強い・・・
意志はアートマーだけど、思考はアートマーではない。
道具は道具で真実で、アートマーはアートマー(自分)で真実。両方とも真実だから、2つとも別れてないと知っていて、それを知らない人(アナートマー)、2つのものが別れてないに別れて見えてしまうことも知っている。
その識別があるので、束縛されないし、そこから自由で、楽しめるということ・・・でしょうか・・・