カルマヨーガの定義は行いの結果の結果に執着をもたないで、成功も失敗も同じと受け取り
偏見のない考え、アンタッカラナ シュッディで、行いをすることでした(ギーター2章47.48)
結果が良くても、悪くても、自分の責任ではないので、その勘違いな考えを落として、その時その時のしなければならない行いにのみ努力すること。
自分の責任ではないというと、全て何をしても責任はないからと、勘違いされそうですが、
そうではなくて、嫌な事でもすきな事でも、同じように、情熱をもってしなければいけない事に努力をしていくという事です。その結果がどうであろうが、良くしていこうとの努力をした行いなので、そこのは責任がないということだと思います。
かといって、成功や失敗はきにしな~いとか、そんなの知らな~いではなくて、
結果に対して、成功も失敗も同じように、イーシュワラからかえってきてるという見え方、理解ができる人がヨーギー。結果はイーシュワラに任せます、そのような考ると、リラックスして行いのみができる。
ヴェーダの考えは、5つの感覚器官でとらえた考えではないので、行いには思いやりだったり、やさしさがもてます。それって、結果はプラサーダ(贈り物)だから・・・
この説明を受けたとき、すごく感動しました。すごく暖かい言葉だなぁと。
今までの、自分の感情での行いをしてた事とかが思い出される(^_^;)
相手はすべて、イーシュワラと想い、行いをする→相手に捧げものをするという考えでの行い。自分自身もイーシュワラです!
ヨーガの語源はユジで、繋がるとか結びつけるとかというふうに言われます。大地とつながろう、自分の内側とつながろう、宇宙とつながろうとか・・・つながる事いろいろ・・・
そして、もう一つの意味は離す、放れるというものでした。
自分自身が真実の源でイーシュワラが、隠されているので、それを落とす事で、ラジャス(活発、野望)やタマス(不活性、だるさ、怠惰)な考えが鎮まり、サットヴァ(純粋、知的、思いやり)な考え
アンタッカラナ シュッディ、キレイな考えが残り、勘違いや無知なものがはなれるという意味。